2008年01月03日: 2007年、印象に残った映画
唐突ですが、タケウチさんの記事に触発され、自分も去年観た映画で印象に残っているものを備忘録的に書き留めておこうかなと思いたった次第です。順番は適当です。それ、順不同っていうんでしたっけ。
『転々』(監督 三木聡/2007)
毎月一日は映画の日、ということで映画館で安く映画が観られるその日に何かしら映画を観に行くことが多いのですが、十二月一日はこれと云って観たいものもなく、友人と二人で「適当に何か観るべ」というノリでたまたま観たこの映画、予想外に良かったなと。
まず主演の三浦友和がかっこええなーと。観てすぐに「お、三浦友和じゃん」ていうのは分かったんですが、相当崩れたオジサンの役柄に完璧に入り込んでいて、観るうち途中から「このオヤジ、本当に三浦友和なのか」という疑念が沸くほどでした。それほど三浦友和の演技が素晴らしかったです。
助演のオダギリさんはそつのない感じ。ただ、最後近くの食事のシーンはすっごく良かった。
映画としては、つげ義春的なおかしみとか、多分監督はその辺りを観て欲しかったんだと思いますが、自分は悲しさっつかペーソス?が印象に残りました。
『ヒロシマナガサキ』(監督 スティーブン・オカザキ/2007)
原爆についての優れたドキュメンタリーです。泣かすでも脅かすでもなく、冷徹な視点と揺らぎ無い信念。「希望は、戦争。」の2007年、この映画と出会えてほっとしました。
『パラダイス・ナウ』(監督 ハニ・アブ・アサド/2005)
ちょっとイスラエルへ自爆テロをしに行ってきますぅ。
「自爆テロ」(公式サイトを読むと「テロ」という犯罪めいた言葉ではなく「攻撃」という言葉が推奨されています)が身近なものとしてあるパレスチナの若者を描いた映画。こういう話をリアリティを持って感じるには自分はあまりに勉強不足なんですが、だからっつって知らんぷりする訳にも行かないですしね。
『不都合な真実』(監督 デイヴィス・グッゲンハイム/2006)
観てない方はだまされたと思ってぜひ一度ご覧あれ。でも毛嫌いする人もいますねきっと。ミスター・チルドレンの歌ですら説教くさいから嫌いっていう人がいるし。
『チーズとうじ虫』(監督 加藤治代/2006)
これを渋谷の映画館で観た帰り道、どうしようもなく泣いてしまいました。なんの衒いもなく。
普段は、家族という制度に幻想を求めたりしないぞーなんて思ってたりするんですがねー。ノスタルジーなんでしょうか、心に響いちゃって響いちゃって。たぶん、歳だから、なんですよね。
手ブレしたデジタルビデオの映像は、今の時代のホームビデオそのもので質感としてはありふれたものなんですが。何なんでしょうねー。もしやこの監督は映像センスが天才的なのかもしれません。
『ショートバス』(監督 ジョン・キャメロン・ミッチェル/2006)
性交シーンとかはですね、全然衝撃でもなんでもなくて。どう考えても普通のポルノのほうが全然すごいことになってるわけで。むしろこれはかなり真面目な映画なのでわ? そこが良かったです。この監督はあの『ヘドヴィグ・アンド・ジ・アングリーインチ』(だったっけ)を撮った方で、実は自分は『ヘドヴィグ~』は未見なのですが、こっちに関してはきれいで分かりやすいという印象でした。
『今宵、フィッツジェラルド劇場で』(監督 ロバート・アルトマン/2006)
群像劇が好きなんですよね。これは観終ったあとの余韻も良いです。ジーーーン。
『初戀』(監督 今泉浩一/2007)
ゲイの高校生が主人公の映画となるとどうしても橋口亮輔監督の『渚のシンドバッド』を思い起こさずにはいられない。『渚~』は自分のオールタイム・フェイバリット(ていうんでしたっけ)なので、それとこれを比べること自体間違ってる気もするが、にしてもこちらは映画としてはあまりに未熟だ。演技も脚本もひどい。映像の文法も成り立っていない。まるで言葉を覚えたての赤ん坊が喋るのを聞いて何を言わんとしているのかを汲み取ってやらなければいけないようなもどかしさ。
ではなぜこの映画が印象に残ったか。それはひとえに、主人公の少年に自分を重ね合わずにおれなかったからだ。あ、個人的すぎちゃってすみません。
少年が、初めて自分以外のゲイと会い、さらに初めて他人に「僕、ホモなんです」と告白をして泣き崩れ、その「気持ち悪いホモ」である自分が受け入れられてゆく、夜の橋から公園までのシーン。そのシーンを観ているあいだじゅう、ひどく動揺してしまった。今年、映画を観た中で、一番動揺した。
もう四十を前にして、皮肉や晦渋や韜晦にも飽きて多少のことでは動揺などしないと思っていたがこのザマ。いったいいつになったら・・。
『転々』(監督 三木聡/2007)
毎月一日は映画の日、ということで映画館で安く映画が観られるその日に何かしら映画を観に行くことが多いのですが、十二月一日はこれと云って観たいものもなく、友人と二人で「適当に何か観るべ」というノリでたまたま観たこの映画、予想外に良かったなと。
まず主演の三浦友和がかっこええなーと。観てすぐに「お、三浦友和じゃん」ていうのは分かったんですが、相当崩れたオジサンの役柄に完璧に入り込んでいて、観るうち途中から「このオヤジ、本当に三浦友和なのか」という疑念が沸くほどでした。それほど三浦友和の演技が素晴らしかったです。
助演のオダギリさんはそつのない感じ。ただ、最後近くの食事のシーンはすっごく良かった。
映画としては、つげ義春的なおかしみとか、多分監督はその辺りを観て欲しかったんだと思いますが、自分は悲しさっつかペーソス?が印象に残りました。
『ヒロシマナガサキ』(監督 スティーブン・オカザキ/2007)
原爆についての優れたドキュメンタリーです。泣かすでも脅かすでもなく、冷徹な視点と揺らぎ無い信念。「希望は、戦争。」の2007年、この映画と出会えてほっとしました。
『パラダイス・ナウ』(監督 ハニ・アブ・アサド/2005)
ちょっとイスラエルへ自爆テロをしに行ってきますぅ。
「自爆テロ」(公式サイトを読むと「テロ」という犯罪めいた言葉ではなく「攻撃」という言葉が推奨されています)が身近なものとしてあるパレスチナの若者を描いた映画。こういう話をリアリティを持って感じるには自分はあまりに勉強不足なんですが、だからっつって知らんぷりする訳にも行かないですしね。
『不都合な真実』(監督 デイヴィス・グッゲンハイム/2006)
観てない方はだまされたと思ってぜひ一度ご覧あれ。でも毛嫌いする人もいますねきっと。ミスター・チルドレンの歌ですら説教くさいから嫌いっていう人がいるし。
『チーズとうじ虫』(監督 加藤治代/2006)
これを渋谷の映画館で観た帰り道、どうしようもなく泣いてしまいました。なんの衒いもなく。
普段は、家族という制度に幻想を求めたりしないぞーなんて思ってたりするんですがねー。ノスタルジーなんでしょうか、心に響いちゃって響いちゃって。たぶん、歳だから、なんですよね。
手ブレしたデジタルビデオの映像は、今の時代のホームビデオそのもので質感としてはありふれたものなんですが。何なんでしょうねー。もしやこの監督は映像センスが天才的なのかもしれません。
『ショートバス』(監督 ジョン・キャメロン・ミッチェル/2006)
性交シーンとかはですね、全然衝撃でもなんでもなくて。どう考えても普通のポルノのほうが全然すごいことになってるわけで。むしろこれはかなり真面目な映画なのでわ? そこが良かったです。この監督はあの『ヘドヴィグ・アンド・ジ・アングリーインチ』(だったっけ)を撮った方で、実は自分は『ヘドヴィグ~』は未見なのですが、こっちに関してはきれいで分かりやすいという印象でした。
『今宵、フィッツジェラルド劇場で』(監督 ロバート・アルトマン/2006)
群像劇が好きなんですよね。これは観終ったあとの余韻も良いです。ジーーーン。
『初戀』(監督 今泉浩一/2007)
ゲイの高校生が主人公の映画となるとどうしても橋口亮輔監督の『渚のシンドバッド』を思い起こさずにはいられない。『渚~』は自分のオールタイム・フェイバリット(ていうんでしたっけ)なので、それとこれを比べること自体間違ってる気もするが、にしてもこちらは映画としてはあまりに未熟だ。演技も脚本もひどい。映像の文法も成り立っていない。まるで言葉を覚えたての赤ん坊が喋るのを聞いて何を言わんとしているのかを汲み取ってやらなければいけないようなもどかしさ。
ではなぜこの映画が印象に残ったか。それはひとえに、主人公の少年に自分を重ね合わずにおれなかったからだ。あ、個人的すぎちゃってすみません。
少年が、初めて自分以外のゲイと会い、さらに初めて他人に「僕、ホモなんです」と告白をして泣き崩れ、その「気持ち悪いホモ」である自分が受け入れられてゆく、夜の橋から公園までのシーン。そのシーンを観ているあいだじゅう、ひどく動揺してしまった。今年、映画を観た中で、一番動揺した。
もう四十を前にして、皮肉や晦渋や韜晦にも飽きて多少のことでは動揺などしないと思っていたがこのザマ。いったいいつになったら・・。
2006年03月13日: ブロークバック・マウンテン
話題の『ブロークバック・マウンテン』、観て参りました。
いや~ほんと、「観て」「参りました」よ。
はい、ここ駄ジャレになってます。
全国でロードショーが始まるのはこの後、18日からなんですが、渋谷のシネマライズって映画館で先行ロードショーがあったので、実はこの前の7日に観てきました。地元の映画館での公開を待ちきれなくて。
前評判で、ひょっとしたらアカデミー作品賞取っちゃうかも!みたいなことが言われてて、真正面からゲイを扱った作品で作品賞って今までのアカデミー賞の長い歴史の中でも一度もない(ですよね?)し、そういうことを知るにつけ、日本で公開される前から勝手に自分の中で盛り上がってました。
で、映画と真剣勝負するつもりで一人で観てきました。
もう観てから1週間近く経つんですけど、困ったことに、いまだにあの映画を観た感想をうまく言葉にできません。
「面白い映画だった」っていうのも違うし、「つまらない映画だった」というのも違う。
なんか、そういう単純な二分法では語れない、周囲の評価などと関係なく屹立しているような映画でした。
観終わって色んなことが分からなかったので、映画館を出たあと本屋に寄って、発売されたばかりの原作の邦訳を買って帰りの電車ん中で一気に読みました。
原作を読むとある程度映画の謎も解けるっていうか、「あそこはああいうシーンだったんだ」と分かる部分もあります。
あるんだけど、やっぱり映画は映画で原作に基づきながらも独自の解釈や原作にないシーンなどがあって、それがストーリーに奥行きを持たせ、あの映画独自の魅力にもなってるので、原作を読んで映画を分かった気になるのもちょっと違うかもしれません。
ちなみにそのアニー・プルーの原作は良かったです。乾いた暗喩、最小限の人と物、言葉にならない感情を描こうとしてうっかり詩的になる文章。自分はアンダスンの『ワインズバーグ・オハイオ』という短編集を思い出しました。(特に「手」っていう超絶にやりきれない短編。)ぜんぜん関係ないけど、『ワインズバーグ・オハイオ』はいい本だと思うのでよろしければご一読を。
そんでふと、映画の内容とか観た感想について、きちんと文章化できないんだったらせめて箇条書きにしてみようかなと思い立っちゃいました。どうでしょうか。すいません。
映画の内容は、
1) 演技 > セリフ
2) 感情 > 理屈
3) 曖昧 > 明解
4) 淡々 > 起伏
5) やりきれなさ > 切なさ
こんな感じ?ってどんな感じだよ。
で私の感想は、
a) 演技は本当に、本当にすごい。
b) でも人物に共感できない。シリアスすぎて安易な共感を許してもらえない。
c) 話の大筋は分かったと思うが、映画そのものは分かった気がしない。
d) 物語だけを捉えると正直言ってつまらない。
e) 一箇所たりとも笑うところがない。考えてみれば近年こんな映画も珍しい。
なので、まったく「ハリウッド的」な、言い換えれば「アカデミー賞」的な映画ではないと思われます。
いわゆるウェルメイドな、ウディ・アレンとか、ああいうストーリーテリングのうまさもないし、かといってヒューマンドラマ的な、ロビン・ウィリアムズが画面いっぱいに熱演してくれるような、そういう感動もないんですよね。
監督のアン・リーが台湾出身だからって、同じ台湾の侯孝賢監督を引き合いに出すのもアレですかね。
でも侯孝賢の『恋恋風塵』とか『悲情城市』、あれもまったく淡々とした映画で観た当時そのドラマ性のなさに驚きましたけど、かなり近いものを感じましたです。
アカデミー賞発表の舞台で、大トリの作品賞を読み上げるプレゼンターのジャック・ニコルスンが、封筒を破って最優秀作品賞の名を読み上げる前に一瞬怪訝そうにも見える表情をしたのが印象的でしたが、結局『ブロークバック・マウンテン』は、アカデミー作品賞以外の数々の賞を取りながら、アカデミー作品賞だけは取れなかったわけです。
しかし、前述しましたように個人的にはアカデミー賞向きの映画じゃないと思ってるので、それはそれでいいです。逆にアカデミー以外の賞を総なめにしていることが驚きです。
私はこの映画を、自分内映画ランキングでベスト10に入ると思ってますが、多くの人が楽しめる映画ではないような気がするのです。
別に、この映画の良さはおれにしか分かるまいとか、そういうことを言いたいわけじゃなくて、例えば映画を観る時に「スカッとしたいから」とか「金のかかった大作を観てうぉーって盛り上がりたいから」って時もあるでしょ。そういうのを観たいって人には、絶対勧めない。
あと「泣きたい」って人にも勧めません。実際おれは泣けなかったもん、ひとっつも。辛すぎて。
作品賞の選考では『ブロークバック・マウンテン』に投票したらしいジャック・ニコルスン。彼がかつて主演した『カッコーの巣の上で』はものすごく好きな映画で、個人的には『ブロークバック・マウンテン』に通じる味わいがあると思っていますが、『カッコー~』のほうは確かアカデミーの作品賞取ってるんだよね。
時代が変わったのか、扱ってるテーマが違うからか・・・。
いろいろ考えてしまいますが。
いや~ほんと、「観て」「参りました」よ。
はい、ここ駄ジャレになってます。
全国でロードショーが始まるのはこの後、18日からなんですが、渋谷のシネマライズって映画館で先行ロードショーがあったので、実はこの前の7日に観てきました。地元の映画館での公開を待ちきれなくて。
前評判で、ひょっとしたらアカデミー作品賞取っちゃうかも!みたいなことが言われてて、真正面からゲイを扱った作品で作品賞って今までのアカデミー賞の長い歴史の中でも一度もない(ですよね?)し、そういうことを知るにつけ、日本で公開される前から勝手に自分の中で盛り上がってました。
で、映画と真剣勝負するつもりで一人で観てきました。
もう観てから1週間近く経つんですけど、困ったことに、いまだにあの映画を観た感想をうまく言葉にできません。
「面白い映画だった」っていうのも違うし、「つまらない映画だった」というのも違う。
なんか、そういう単純な二分法では語れない、周囲の評価などと関係なく屹立しているような映画でした。
観終わって色んなことが分からなかったので、映画館を出たあと本屋に寄って、発売されたばかりの原作の邦訳を買って帰りの電車ん中で一気に読みました。
ブロークバック・マウンテン
E・アニー・プルー、米塚 真治
集英社
2006/02/17
¥ 400 (定価)
(Amazon価格)
★★★★ (私のおすすめ度)
(Amazonおすすめ度)
文庫
(価格・在庫状況は11月23日 19:13現在)
E・アニー・プルー、米塚 真治
集英社
2006/02/17
¥ 400 (定価)
(Amazon価格)
★★★★ (私のおすすめ度)
(Amazonおすすめ度)
文庫
(価格・在庫状況は11月23日 19:13現在)
原作を読むとある程度映画の謎も解けるっていうか、「あそこはああいうシーンだったんだ」と分かる部分もあります。
あるんだけど、やっぱり映画は映画で原作に基づきながらも独自の解釈や原作にないシーンなどがあって、それがストーリーに奥行きを持たせ、あの映画独自の魅力にもなってるので、原作を読んで映画を分かった気になるのもちょっと違うかもしれません。
ちなみにそのアニー・プルーの原作は良かったです。乾いた暗喩、最小限の人と物、言葉にならない感情を描こうとしてうっかり詩的になる文章。自分はアンダスンの『ワインズバーグ・オハイオ』という短編集を思い出しました。(特に「手」っていう超絶にやりきれない短編。)ぜんぜん関係ないけど、『ワインズバーグ・オハイオ』はいい本だと思うのでよろしければご一読を。
ワインズバーグ・オハイオ
シャーウッド アンダソン、Sherwood Anderson、小島 信夫、浜本 武雄
講談社
1997/06
¥ 998 (定価)
(Amazon価格)
★★★★★ (私のおすすめ度)
(Amazonおすすめ度)
文庫
(価格・在庫状況は11月23日 19:13現在)
シャーウッド アンダソン、Sherwood Anderson、小島 信夫、浜本 武雄
講談社
1997/06
¥ 998 (定価)
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★★★★★ (私のおすすめ度)
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そんでふと、映画の内容とか観た感想について、きちんと文章化できないんだったらせめて箇条書きにしてみようかなと思い立っちゃいました。どうでしょうか。すいません。
映画の内容は、
1) 演技 > セリフ
2) 感情 > 理屈
3) 曖昧 > 明解
4) 淡々 > 起伏
5) やりきれなさ > 切なさ
こんな感じ?ってどんな感じだよ。
で私の感想は、
a) 演技は本当に、本当にすごい。
b) でも人物に共感できない。シリアスすぎて安易な共感を許してもらえない。
c) 話の大筋は分かったと思うが、映画そのものは分かった気がしない。
d) 物語だけを捉えると正直言ってつまらない。
e) 一箇所たりとも笑うところがない。考えてみれば近年こんな映画も珍しい。
なので、まったく「ハリウッド的」な、言い換えれば「アカデミー賞」的な映画ではないと思われます。
いわゆるウェルメイドな、ウディ・アレンとか、ああいうストーリーテリングのうまさもないし、かといってヒューマンドラマ的な、ロビン・ウィリアムズが画面いっぱいに熱演してくれるような、そういう感動もないんですよね。
監督のアン・リーが台湾出身だからって、同じ台湾の侯孝賢監督を引き合いに出すのもアレですかね。
でも侯孝賢の『恋恋風塵』とか『悲情城市』、あれもまったく淡々とした映画で観た当時そのドラマ性のなさに驚きましたけど、かなり近いものを感じましたです。
アカデミー賞発表の舞台で、大トリの作品賞を読み上げるプレゼンターのジャック・ニコルスンが、封筒を破って最優秀作品賞の名を読み上げる前に一瞬怪訝そうにも見える表情をしたのが印象的でしたが、結局『ブロークバック・マウンテン』は、アカデミー作品賞以外の数々の賞を取りながら、アカデミー作品賞だけは取れなかったわけです。
しかし、前述しましたように個人的にはアカデミー賞向きの映画じゃないと思ってるので、それはそれでいいです。逆にアカデミー以外の賞を総なめにしていることが驚きです。
私はこの映画を、自分内映画ランキングでベスト10に入ると思ってますが、多くの人が楽しめる映画ではないような気がするのです。
別に、この映画の良さはおれにしか分かるまいとか、そういうことを言いたいわけじゃなくて、例えば映画を観る時に「スカッとしたいから」とか「金のかかった大作を観てうぉーって盛り上がりたいから」って時もあるでしょ。そういうのを観たいって人には、絶対勧めない。
あと「泣きたい」って人にも勧めません。実際おれは泣けなかったもん、ひとっつも。辛すぎて。
作品賞の選考では『ブロークバック・マウンテン』に投票したらしいジャック・ニコルスン。彼がかつて主演した『カッコーの巣の上で』はものすごく好きな映画で、個人的には『ブロークバック・マウンテン』に通じる味わいがあると思っていますが、『カッコー~』のほうは確かアカデミーの作品賞取ってるんだよね。
時代が変わったのか、扱ってるテーマが違うからか・・・。
いろいろ考えてしまいますが。
2006年02月24日: 福島次郎氏、死去
作家の福島次郎氏が22日、亡くなりました。
三島由紀夫氏との交流を描いた『三島由紀夫―剣と寒紅』は、三島氏から福島氏に宛てた手紙を引用したことが、三島氏の遺族の方から「著作権侵害にあたる」として訴えがあり、裁判の結果出版差し止めになっているそうです。
そのことばかりが話題になった結果、福島次郎=三島由紀夫の暴露本を書いた人、というイメージが広まってしまっているとしたら残念なことです。
その本は未読なんですが、『淫月』と『蝶のかたみ』という2冊の短編集を読んだことがあります。いずれも、「ゲイ小説」というよりは「ホモ文学」とでも呼んだほうが良いような物語ばかりです。
登場人物たちは決してカムアウトなどしません。
『蝶のかたみ』の中の「バスタオル」という短編は、教え子に恋する教師の話です。
教師はやがて教え子と性交しますが、性交のあと必ず自己嫌悪に陥ります。
自己嫌悪の果てに、自分を慕うその生徒をも拒絶し、生徒の心を傷つけます。
そのことで教師はまたさらに自己嫌悪していくという、ある意味救いがたい話です。
あの石原慎太郎氏が、この短編を高く評価しているそうです。
石原氏は同性愛者嫌いで有名ですので、この「自己否定する同性愛者」を描いた「バスタオル」が気に入ったとしても不思議ではないのかもしれません。
浅田彰氏は福島氏の作品全体を「それは同性愛がタブーであったときにのみ辛うじて意味をもつ時代錯誤的な書物に過ぎないのである。」と断じています。
そして、こうも続けます。「だが、社会的な差別を逆手にとったその程度の文学は、なくなったほうがいいのだ。」
私も基本的にはそう思います。
しかし、「同性愛はタブーであった」と過去形にするのはまだ早いような気がしています。
同性愛は、私たちが生きるこの時代のそこかしこにおいて未だにタブーです。
日本の都市部においては、もはや制度的、社会的なタブーは解体されつつあるかもしれませんが、人々の心に根付く禁忌のイメージは、そう簡単には消え去らないでしょう。
非同性愛者の心の中のみならず、同性愛者の心の中にも内面化された同性愛嫌悪が存在します。それは幼いころからゆっくりと塗り固められてきたものなので、何かの拍子にすぐに顔を出してきます。
私は、福島氏の小説の登場人物、多分に福島氏自身が投影されているであろう「自己否定する同性愛者」たちを、時代錯誤的であると言い切ってしまうことができません。
なぜなら私自身も自己嫌悪する同性愛者だからです。
三島由紀夫氏との交流を描いた『三島由紀夫―剣と寒紅』は、三島氏から福島氏に宛てた手紙を引用したことが、三島氏の遺族の方から「著作権侵害にあたる」として訴えがあり、裁判の結果出版差し止めになっているそうです。
そのことばかりが話題になった結果、福島次郎=三島由紀夫の暴露本を書いた人、というイメージが広まってしまっているとしたら残念なことです。
その本は未読なんですが、『淫月』と『蝶のかたみ』という2冊の短編集を読んだことがあります。いずれも、「ゲイ小説」というよりは「ホモ文学」とでも呼んだほうが良いような物語ばかりです。
登場人物たちは決してカムアウトなどしません。
『蝶のかたみ』の中の「バスタオル」という短編は、教え子に恋する教師の話です。
教師はやがて教え子と性交しますが、性交のあと必ず自己嫌悪に陥ります。
自己嫌悪の果てに、自分を慕うその生徒をも拒絶し、生徒の心を傷つけます。
そのことで教師はまたさらに自己嫌悪していくという、ある意味救いがたい話です。
あの石原慎太郎氏が、この短編を高く評価しているそうです。
石原氏は同性愛者嫌いで有名ですので、この「自己否定する同性愛者」を描いた「バスタオル」が気に入ったとしても不思議ではないのかもしれません。
浅田彰氏は福島氏の作品全体を「それは同性愛がタブーであったときにのみ辛うじて意味をもつ時代錯誤的な書物に過ぎないのである。」と断じています。
そして、こうも続けます。「だが、社会的な差別を逆手にとったその程度の文学は、なくなったほうがいいのだ。」
私も基本的にはそう思います。
しかし、「同性愛はタブーであった」と過去形にするのはまだ早いような気がしています。
同性愛は、私たちが生きるこの時代のそこかしこにおいて未だにタブーです。
日本の都市部においては、もはや制度的、社会的なタブーは解体されつつあるかもしれませんが、人々の心に根付く禁忌のイメージは、そう簡単には消え去らないでしょう。
非同性愛者の心の中のみならず、同性愛者の心の中にも内面化された同性愛嫌悪が存在します。それは幼いころからゆっくりと塗り固められてきたものなので、何かの拍子にすぐに顔を出してきます。
私は、福島氏の小説の登場人物、多分に福島氏自身が投影されているであろう「自己否定する同性愛者」たちを、時代錯誤的であると言い切ってしまうことができません。
なぜなら私自身も自己嫌悪する同性愛者だからです。
2005年06月25日: 河口和也『クイア・スタディーズ』
やっとこAmazonアソシエイトの許可がおりたのでテスト。
最近読んでる本なぞ紹介してみます。
文字化けするのはなぜ?(2007年11月25日追記 文字化け直ってました) 正しくはタイトルどおり、河口和也著『クイア・スタディーズ』、その名の通り、クイアについての学問「クイアスタディーズ」を紹介する本です。
なんか、アマゾンの「カスタマーレビュー」っての見ると非常に好意的なんですが、自分はちょっと読むのがツラかったなぁ。
文章が分かりにくいんですよ。「難解」ならまだしも、文章になっていない、言い回しが変、ていう次元の話で。
言葉の意味が分からないだけなら調べればいいんだけど、この本の場合、仮に言葉の個々の意味は調べて何とか分かったとしても、文意が汲めないことが多くてなかなか読み進めませんでした。結局この人何が言いたいんだろ?という。
たとえばこんな具合。
しかし、もうちょっと噛み砕いて書いていただくわけにはいかなかったのでしょうか。
とはいえこの本を読んで初めて知ったこともあったし(日本の法務省が同性婚を認めていないなど。てっきり同性婚など無いものとして無視されているとばかり思ってました)、面白く読めた部分もありましたよ。はい。
最近読んでる本なぞ紹介してみます。
クイア・スタディーズ
河口 和也
岩波書店
2003/12/18
¥ 1,365 (定価)
(Amazon価格)
★ (私のおすすめ度)
(Amazonおすすめ度)
単行本(ソフトカバー)
(価格・在庫状況は11月23日 19:13現在)
河口 和也
岩波書店
2003/12/18
¥ 1,365 (定価)
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★ (私のおすすめ度)
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単行本(ソフトカバー)
(価格・在庫状況は11月23日 19:13現在)
文字化けするのはなぜ?(2007年11月25日追記 文字化け直ってました) 正しくはタイトルどおり、河口和也著『クイア・スタディーズ』、その名の通り、クイアについての学問「クイアスタディーズ」を紹介する本です。
なんか、アマゾンの「カスタマーレビュー」っての見ると非常に好意的なんですが、自分はちょっと読むのがツラかったなぁ。
文章が分かりにくいんですよ。「難解」ならまだしも、文章になっていない、言い回しが変、ていう次元の話で。
言葉の意味が分からないだけなら調べればいいんだけど、この本の場合、仮に言葉の個々の意味は調べて何とか分かったとしても、文意が汲めないことが多くてなかなか読み進めませんでした。結局この人何が言いたいんだろ?という。
たとえばこんな具合。
またSMの実践者は, 一見すると異性愛の関係を構造化しているかのように考えられる残忍さと権力の不均衡のエロス化を内面化したものとして理解されてきたのだ。この箇所、私は3回か4回読み直して、ようやくおぼろげに文意をつかみました。
ただし, 異なる観点から見れば, 1980年代には, 非標準化されるようなセクシュアリティがフェミニズムやレズビアニズムのなかにも可視的なものとして登場してきたということでもある. こうした非標準化された形態のセクシュアリティに同一化した女性たちが自分のアイデンティティを肯定し, それを承認することを社会に対して主張し始めたということでもある. したがって, 非標準化されたセクシュアリティを生きる女たちと標準的なセクシュアリティを生きる女たちのあいだに政治的な係争が生じることになった.
河口和也『クイア・スタディーズ』岩波書店 48p.-49p.
しかし、もうちょっと噛み砕いて書いていただくわけにはいかなかったのでしょうか。
とはいえこの本を読んで初めて知ったこともあったし(日本の法務省が同性婚を認めていないなど。てっきり同性婚など無いものとして無視されているとばかり思ってました)、面白く読めた部分もありましたよ。はい。
2005年05月12日: 日顕さんへの攻撃の手は休まることがありません
コラム寸鉄フローム聖教新聞。
5/11
・「本山への供養は無理するな」と困窮末寺。日顕の簒奪に自界叛逆の火の手
もはやこの文章の意味するところが分からない、というよりそもそも文中の言葉の意味からして分かりません。俺ってお馬鹿さん。
とりあえず分からない語句をヤフーで検索しました。
まつ‐じ【末寺】 本山の支配下にある寺。
さん‐だつ【×簒奪】[名](スル) 帝王の位、政治の実権などを奪い取ること。「王位を―する」
他に「自界叛逆」という言葉も初耳ですが、調べても出てきません。四文字熟語っぽいけど造語かも。想像するに、「自界叛逆の火の手」っつーのはおそらく「自分とこから叛逆者が出てアップアップしてる」とかそういう意味なんでしょうか。
とにかく、日顕さんを罵ってるんだということだけは私のような馬鹿でもなんとなく理解できました。
5/12
・カラスの駆除には生ゴミ減らせ。腹黒坊主も、布施を断てば絶滅間違いない
絶滅させたいようです。はぁ。
Wikipediaで調べると聖教新聞って公称550万部出ているらしんですよ。私の感覚ではそのぐらいの部数が出ている発行物というのはある程度公共性ってものを考慮すべきかなと思うんですが、こういうことが一面に書いてある状況を主な読者である創価学会の信者の方たちはどう思われているんでしょうか?
私は、信教の自由は確保されるべきだと思っているので、誰がどんな宗教を信じていようがぜんぜん問題ないんですが、機関紙(Wikipediaでも「機関紙」という表現でした。やはりこれは新聞というよりは学会機関紙ですね)がこういう状況にあるからには、創価学会の信者であるということと、例えばオウム真理教(現アレーフ)の信者であるということは両方とも排他的な思想にマインドコントロールされているという点において大差ないんじゃないのんかー、と言わざるを得ないです。
5/11
・「本山への供養は無理するな」と困窮末寺。日顕の簒奪に自界叛逆の火の手
もはやこの文章の意味するところが分からない、というよりそもそも文中の言葉の意味からして分かりません。俺ってお馬鹿さん。
とりあえず分からない語句をヤフーで検索しました。
まつ‐じ【末寺】 本山の支配下にある寺。
さん‐だつ【×簒奪】[名](スル) 帝王の位、政治の実権などを奪い取ること。「王位を―する」
他に「自界叛逆」という言葉も初耳ですが、調べても出てきません。四文字熟語っぽいけど造語かも。想像するに、「自界叛逆の火の手」っつーのはおそらく「自分とこから叛逆者が出てアップアップしてる」とかそういう意味なんでしょうか。
とにかく、日顕さんを罵ってるんだということだけは私のような馬鹿でもなんとなく理解できました。
5/12
・カラスの駆除には生ゴミ減らせ。腹黒坊主も、布施を断てば絶滅間違いない
絶滅させたいようです。はぁ。
Wikipediaで調べると聖教新聞って公称550万部出ているらしんですよ。私の感覚ではそのぐらいの部数が出ている発行物というのはある程度公共性ってものを考慮すべきかなと思うんですが、こういうことが一面に書いてある状況を主な読者である創価学会の信者の方たちはどう思われているんでしょうか?
私は、信教の自由は確保されるべきだと思っているので、誰がどんな宗教を信じていようがぜんぜん問題ないんですが、機関紙(Wikipediaでも「機関紙」という表現でした。やはりこれは新聞というよりは学会機関紙ですね)がこういう状況にあるからには、創価学会の信者であるということと、例えばオウム真理教(現アレーフ)の信者であるということは両方とも排他的な思想にマインドコントロールされているという点において大差ないんじゃないのんかー、と言わざるを得ないです。
2005年05月11日: ネガティブだなぁ
5/10、寸鉄from聖教新聞。
・落選!逮捕!議席減!宗教弾圧の政治集団は必ず衰亡。陰謀の因果応報か。
宗教弾圧の政治集団てどこなんでしょう。ご存知の方いらしたら教えてくださいませ。
・「欲望の僕になると、必ず他人の僕になる」文豪(トルストイ)。欲ボケ日顕、山友の下僕。
日顕さんは日蓮正宗の人ですね。創価学会は日蓮正宗から追い出されたらしく、「寸鉄」にはこの手の日顕批判(というよりただの恨み節か)がよく出てきます。しかし「欲ボケ」って・・。勝手に引用されたトルストイもびっくりですな。
・落選!逮捕!議席減!宗教弾圧の政治集団は必ず衰亡。陰謀の因果応報か。
宗教弾圧の政治集団てどこなんでしょう。ご存知の方いらしたら教えてくださいませ。
・「欲望の僕になると、必ず他人の僕になる」文豪(トルストイ)。欲ボケ日顕、山友の下僕。
日顕さんは日蓮正宗の人ですね。創価学会は日蓮正宗から追い出されたらしく、「寸鉄」にはこの手の日顕批判(というよりただの恨み節か)がよく出てきます。しかし「欲ボケ」って・・。勝手に引用されたトルストイもびっくりですな。
2005年05月10日: Microsoft が同性愛者差別禁止法案を支持
Japan.internet.comの記事から。
「多様性を尊重」、Microsoft が同性愛者差別禁止法案を支持
単純にいいことだと思うし、こういう結果を勝ち取ったアクティビスト達には拍手!なんですが、Microsoftに限らず商売をやっているところがこうした態度表明をするということは、総じて「ビジネス的に判断して」の結果なんだろうなと思います。「そう言っておいたほうがウチの製品は売れるだろう」という判断ですね。
逆に言えば、ビジネスのツボを押さえる、という戦略は少数者の権利拡大に有効な手段だということになります。「ゲイ」というマーケットがあるということを、もっと企業に分かってもらわなきゃいけないかもですね。
ビジネス上の利益が優先され、保守的な倫理感覚に勝るというのは皮肉なことであり、面白い話ですね。保守という、思想上の強者気取りは時に「国益」などという漠とした概念を持ち出すのですが、現実の経済の強者はもはやそちらを見ていないという乖離が起きているわけです。
ああ労しや、資本主義。なんつっ亭。
「多様性を尊重」、Microsoft が同性愛者差別禁止法案を支持
単純にいいことだと思うし、こういう結果を勝ち取ったアクティビスト達には拍手!なんですが、Microsoftに限らず商売をやっているところがこうした態度表明をするということは、総じて「ビジネス的に判断して」の結果なんだろうなと思います。「そう言っておいたほうがウチの製品は売れるだろう」という判断ですね。
逆に言えば、ビジネスのツボを押さえる、という戦略は少数者の権利拡大に有効な手段だということになります。「ゲイ」というマーケットがあるということを、もっと企業に分かってもらわなきゃいけないかもですね。
ビジネス上の利益が優先され、保守的な倫理感覚に勝るというのは皮肉なことであり、面白い話ですね。保守という、思想上の強者気取りは時に「国益」などという漠とした概念を持ち出すのですが、現実の経済の強者はもはやそちらを見ていないという乖離が起きているわけです。
ああ労しや、資本主義。なんつっ亭。
2005年05月10日: 寸 鉄
大人の諸事情により、現在我が家に聖教新聞が入っております。
聖教新聞といえば、まあ皆様のご想像通り、基本的には池田先生万歳!で、トップニュースは池田大作がどこぞの名誉市民になったり名誉教授になったりとかなんですが、一応彼らは平和を愛したりするスタンスらしく(ex. 改憲論議における公明党の苦肉の「加憲」案しかり)、紙面はポジティブでピースなうさんくさいヴァイブスに満ちているわけですが、その中にとんでもなくネガティブなヴァイブスを感じるコラム?つうか標語?みたいなのがあって、「寸鉄」っていうんですけど面白いので無断で転載してみます。
5/9
・「忘恩」は犯罪だ!学会のおかげで偉くなりながら反逆する輩は責め倒せ。
よく考えたら面白いかどうか微妙だけど、ある程度部数のある新聞(らしきもの)にこういう文章が平然と載ってるのが凄い。「反逆する輩」て誰でしょう。応援したいものです。
聖教新聞といえば、まあ皆様のご想像通り、基本的には池田先生万歳!で、トップニュースは池田大作がどこぞの名誉市民になったり名誉教授になったりとかなんですが、一応彼らは平和を愛したりするスタンスらしく(ex. 改憲論議における公明党の苦肉の「加憲」案しかり)、紙面はポジティブでピースなうさんくさいヴァイブスに満ちているわけですが、その中にとんでもなくネガティブなヴァイブスを感じるコラム?つうか標語?みたいなのがあって、「寸鉄」っていうんですけど面白いので無断で転載してみます。
5/9
・「忘恩」は犯罪だ!学会のおかげで偉くなりながら反逆する輩は責め倒せ。
よく考えたら面白いかどうか微妙だけど、ある程度部数のある新聞(らしきもの)にこういう文章が平然と載ってるのが凄い。「反逆する輩」て誰でしょう。応援したいものです。
2005年04月28日: どっこい移植作業
2005年04月09日: もう一度ヒップホップを
一昨日「明日はまじめにやります」なんて書いたくせに、相変わらず過去ログを置き去りにしたままで申し訳ありません。しかもなぜか今朝、突発的にe-Bankに口座開設の申し込みをしてしまいました。
「男湯プロダクション」用の口座を作らんといけないな、と前から思ってたので、ええぃ行ったれ、てなもんでWEBから「口座開設を申し込む」ボタンをポチッとな。簡単簡単。
「口座?何のために?」と思われる方もいらっしゃると思いますが実は、この「男湯ドットコム」の最初の主要なコンセプトの一つは「金儲け」だったんです。今のこの状態は、どこが?っていうぐらい金儲けから遠いところに来てしまっている感があります(ほぼ酒井が原因)が、もう一回軌道修正しようかなと。4年目にして原点に立ち返るというか。遅すぎだけど。
金儲けといってもコンテンツを売る、っていうんじゃなくて(売るようなものも今のところないし)、まあ何と言いますか、広告収入とか商品紹介の仲介料程度だったらさ、読んでる方々にも納得していただけるんじゃないかなーと。ダメ?
それで、口座が開設できたらAmazonアソシエイトに申し込もうと思ってるわけです。でもあれって審査とかあるのかなぁ。サイトの説明をよく読んでない(←読めよ)のではっきりしないんですけどまぁいいか。
儲かるといいなぁ(マジ無理)。
あと、これはいつ完成するのか全く分かりませんが、「男湯ラジオ 2004年12月30日収録版」にて短いバージョンを先行公開いたしました曲、男湯プロダクションと都庁前オールスターズ「曙がんばれ」のフル・バージョンを今作っています(←今作ってんのかよ)。
で、ラップを入れようと思って歌詞を書いてるんですが、難しいですねぇ。
無い知恵絞って言葉をメモして順序を整え、それをリズムに載せていく作業で四苦八苦なんですが、そもそもメモ書きした自分の言葉が読めない。字が汚すぎて。
そんな状況に加えて才能=枯渇&経験値=ゼロというシビアな条件の中で、なぜラップをやってみようと思ったのかというと、もう一度ラップおよびヒップホップを身近に感じたかったからですね。
私、もともとヒップホップ好きだったんです。
ただ、ご存知の方もいらっしゃるとは思いますが、言葉とリズムの芸術だったラップが、シーンが大きくなっていくとともに安易なポピュリズムに流れていき、一般受けするマッチョ志向の「ハーコー」なラップ(しかもアンチゲイだったりする)が台頭してきた時代がありまして。
それらに引っ張られてシーンが成長していくようになってからというもの、私はラップを聴くのをほとんど止めてしまっていました。
己を省みずに他者をDISり、異質なものを排除する言葉に磨きをかけること=ラップのスキル、という日本の「ハーコー」シーンもツラかったですね。肥大した自我をさらに誇張表現してみせることが「リアル」だと言って憚らないうんこラッパーもいましたしね。
失礼、話が脱線しました。
でも、やっぱりヒップホップのリズムって好きなんですよ。
というより、正直言って私はやっぱりヒップホップが好きなんです。今でも。
ラップの入っていないインストゥルメンタルのヒップホップを聴いていた時もありましたが、いまいちつまらないんですよ。
それで考え方を変えました。
要は、自分の聞きたいものが無いんだったら自分で作っちゃおうかな、つーことです。ヤケクソですが前向きな感じです。
別にゲイでなくてもいいんですけど、そういう少数派の立場からラップしている人って日本でいますかね?いないですよね?(とか言いながら実はそういう活動をしていらっしゃる方がいないわけではないのは知ってますけどあまりにもアレなんで知らないことにします。)
「童貞で引け目を感じてます」とか「元ヤンキーで社会に対して疎外感を感じてました」とかそういう甘っちょろい少数派は却下です。勝手に感じてろっつうの。あれ、マッチョっぽい物言いになってるぞ自分。
もちろん「男湯プロダクション」として作るわけなんで、私酒井だけでなくタケウチさんが作詞するパターンもあります。そうするとぜんぜん違ったものができてくることも当然あり得ますね。
思想的にもセクシャリティも正反対の二人がこうして曲を作ったり一緒にサイトを運営したりていうのはあまり他では見ないパターンで、私はそこがこの「男湯ドットコム」の、わりとキモなんじゃないかと思っておりますがいかがなもんでしょうか。
「男湯プロダクション」用の口座を作らんといけないな、と前から思ってたので、ええぃ行ったれ、てなもんでWEBから「口座開設を申し込む」ボタンをポチッとな。簡単簡単。
「口座?何のために?」と思われる方もいらっしゃると思いますが実は、この「男湯ドットコム」の最初の主要なコンセプトの一つは「金儲け」だったんです。今のこの状態は、どこが?っていうぐらい金儲けから遠いところに来てしまっている感があります(ほぼ酒井が原因)が、もう一回軌道修正しようかなと。4年目にして原点に立ち返るというか。遅すぎだけど。
金儲けといってもコンテンツを売る、っていうんじゃなくて(売るようなものも今のところないし)、まあ何と言いますか、広告収入とか商品紹介の仲介料程度だったらさ、読んでる方々にも納得していただけるんじゃないかなーと。ダメ?
それで、口座が開設できたらAmazonアソシエイトに申し込もうと思ってるわけです。でもあれって審査とかあるのかなぁ。サイトの説明をよく読んでない(←読めよ)のではっきりしないんですけどまぁいいか。
儲かるといいなぁ(マジ無理)。
あと、これはいつ完成するのか全く分かりませんが、「男湯ラジオ 2004年12月30日収録版」にて短いバージョンを先行公開いたしました曲、男湯プロダクションと都庁前オールスターズ「曙がんばれ」のフル・バージョンを今作っています(←今作ってんのかよ)。
で、ラップを入れようと思って歌詞を書いてるんですが、難しいですねぇ。
無い知恵絞って言葉をメモして順序を整え、それをリズムに載せていく作業で四苦八苦なんですが、そもそもメモ書きした自分の言葉が読めない。字が汚すぎて。
そんな状況に加えて才能=枯渇&経験値=ゼロというシビアな条件の中で、なぜラップをやってみようと思ったのかというと、もう一度ラップおよびヒップホップを身近に感じたかったからですね。
私、もともとヒップホップ好きだったんです。
ただ、ご存知の方もいらっしゃるとは思いますが、言葉とリズムの芸術だったラップが、シーンが大きくなっていくとともに安易なポピュリズムに流れていき、一般受けするマッチョ志向の「ハーコー」なラップ(しかもアンチゲイだったりする)が台頭してきた時代がありまして。
それらに引っ張られてシーンが成長していくようになってからというもの、私はラップを聴くのをほとんど止めてしまっていました。
己を省みずに他者をDISり、異質なものを排除する言葉に磨きをかけること=ラップのスキル、という日本の「ハーコー」シーンもツラかったですね。肥大した自我をさらに誇張表現してみせることが「リアル」だと言って憚らないうんこラッパーもいましたしね。
失礼、話が脱線しました。
でも、やっぱりヒップホップのリズムって好きなんですよ。
というより、正直言って私はやっぱりヒップホップが好きなんです。今でも。
ラップの入っていないインストゥルメンタルのヒップホップを聴いていた時もありましたが、いまいちつまらないんですよ。
それで考え方を変えました。
要は、自分の聞きたいものが無いんだったら自分で作っちゃおうかな、つーことです。ヤケクソですが前向きな感じです。
別にゲイでなくてもいいんですけど、そういう少数派の立場からラップしている人って日本でいますかね?いないですよね?(とか言いながら実はそういう活動をしていらっしゃる方がいないわけではないのは知ってますけどあまりにもアレなんで知らないことにします。)
「童貞で引け目を感じてます」とか「元ヤンキーで社会に対して疎外感を感じてました」とかそういう甘っちょろい少数派は却下です。勝手に感じてろっつうの。あれ、マッチョっぽい物言いになってるぞ自分。
もちろん「男湯プロダクション」として作るわけなんで、私酒井だけでなくタケウチさんが作詞するパターンもあります。そうするとぜんぜん違ったものができてくることも当然あり得ますね。
思想的にもセクシャリティも正反対の二人がこうして曲を作ったり一緒にサイトを運営したりていうのはあまり他では見ないパターンで、私はそこがこの「男湯ドットコム」の、わりとキモなんじゃないかと思っておりますがいかがなもんでしょうか。



